2013年8月16日金曜日

終戦記念日

今日、8月15日は終戦記念日です。フランスはAssomption、聖母被昇天祭というカトリックの祝日だそうで、休日です。
聖母被昇天祭と言われても、キリスト教徒でない僕にはどんな日なのか、ピンとこないのですが、せっかくの休日なのでゆっくりしようかと思います。

さて、昨日、『男たちのヤマト/YAMATO』という映画を見てみました。特に終戦記念日だからというわけでもないけれど。
戦時中は、たくさんの人が戦地で亡くなったわけですが、彼らは、当時の社会情勢、常識のなかで、当然の事、あるいは仕方のない事として、死に向かっていったのだと思います。少なくとも、避けられない運命として受け入れるしかなかったのでしょう。後世の我々にしてみれば、日本の戦略のまずさだとか、全体主義やプロパガンダによる洗脳だとか色々と言えるわけですが、当時多くの人が国のため、家族や友人のためと思い、自分以外の何かのために、死んでいきました。多くの人が、他に選択肢があるとは考えなかったのです。同時に、国全体としては、間違った方向に進んでいました。

翻って、現代の僕たち日本人はどうでしょうか。政治の混迷、経済の低迷、原発事故と、日本を取り巻く状況は困難です。それに対して、僕たちはどこか、仕方のないこと、自分にはどうしようもないこととして受け止めていないでしょうか。時代の大きな流れに対して、一個人は余りにも無力であると。同時に、誰もが目の前の自分の人生を必死に生きています。どんなに平凡でつまらない日々を送っているようでも、そこにはいつも、家族、友人への想いといった素晴らしいものがあります。
だからこそ、僕たちは戦没者の想いに胸を馳せ、共感し、追悼するのです。

日本を取り巻く状況、特に福島の原発事故は、これからの日本に大きな不幸をもたらすでしょう。後世の人から指を差されないために、僕たち一人一人が、日本全体をどういう方向へ進めていくのかを考えるべき時だと思います。たとえ一個人が無力だと思えるとしても。

終戦記念日に、そんなことを思いました。





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